作られた世界の真実の人:トゥルーマンショー 感想
トゥルーマンショー(1998年 アメリカ)
スタッフ
監督 ピーター・ウィアー
脚本 アンドリュー・ニコル
キャスト
ジム・キャリー
エド・ハリス
あらすじ
周りを海で囲まれた平和な離れ小島の町シーヘブン。保険のセールスマン、トゥルーマン・バーバンク(ジム・キャリー)は看護婦でしっかり者の妻メリル(ローラ・リニー)や親友のマーロン(ノア・エメリッヒ)とともに平凡な毎日を送っている。ボート事故で父親を亡くした彼は水恐怖症で島から出たことはなかったが、大学時代に出会った忘れられない女性、ローレン(ナターシャ・マケルホーン)に会うためフィジー島へ行くというが… (映画.comより引用)
リアリティ番組のはしり?
主人公は平凡に暮らしているつもりだけど実は本人以外は全て俳優が演じ、万里の長城並みの巨大セットの中で全てが24時間全世界に生中継されているというリアルなリアリティ番組が舞台になっています。
アメリカではリアリティ番組は古くから人気のある番組形態だったけど日本では古くはバスで旅する男女の恋模様をおったあいのり、一軒のシェハウスで同じく恋模様をおったテラスハウスが有名ですね。
まあ、だいたいリアルって言っているものに限ってだいたいシナリオがあるんですが、本作にはシナリオがあっても主人公本人には知らされていないという設定でした。
どう考えても人権にうるさいアメリカではこんな番組通用しないだろうと思ったのですが、ウィキペディアによるとトゥルーマンはアメリカ国民じゃないという設定らしく、つまり法の下の権利が保障されていないということになっているようです。
ひどい…でも、ジム・キャリーならいいかという気分になります(笑)
ジム・キャリーがうざい
そのジム・キャリー、当時は人気絶頂の時期だったのですが、あの顔芸が本作に本当に必要かどうかは甚だ疑わしいと以前見たときに感じました。
なぜならあの顔芸が彼の演技自体をとても嘘っぽくさせてしまうのでマイナス要素にしかならないのではないかと思ったからです。
でも、今回久しぶりに見直してみたらやっぱりうざいことには変わりはないのですが、本作の前提である全ては作り物というシチュエーションには逆にあの顔芸の嘘っぽさがなんとなくマッチしているような感じがしてきたのです。ジム・キャリーという俳優が持っている嘘臭さ、作り物っぽさが本作にはよくあっているのだと思ったのでした。
帽子とメガネが似合わないエド・ハリス
本作でエド・ハリス(ディレクターの人)は珍しく軍人役ではないけれどやっぱり誰かに指示を出す役でしたね。服装は軍服っぽい感じでしたが、帽子(ベレー帽?)とメガネがどうも似合わない。帽子なら軍帽だろうし目が悪いという設定はエド・ハリスには似合わないでしょう(僕の偏見でしかありませんが)
残酷なオチ
もう古い映画なのでネタバレを気にせず書いてしまいますが、最後に主人公は全てが作り物であるということに気づき自らの意思で外の世界に旅立っていくわけですが、ディレクターであるエド・ハリスとの会話がまるで神様との会話みたいでしたね。そして嘘で塗り固めた作り物の世界=悩みや苦しみがない世界はエデンの園になるのでしょうか。
うがった見方をすれば本作は人間は神に罰せられてエデンの園を追放されたのではなく、たとえ厳しかったとしても外の世界を知りたい欲求に正直で神のいうことも聞かずに自らの意思で出て言ったということを暗示してるのかもしれませんね。
しかし、最後のセリフが全体のオチとして効いていますね。あれだけ巨大なセットで、人の半生を犠牲にしたドラマを作り、感動的なラストまで演出したのに、「次の番組はなんだ?」ですからね。
視聴者は残酷です。