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ドラゴンズ週報 号外 星野仙一氏死去

愛憎半ばするというのが一ファンの偽らざる気持ちです

記事:「楽天が6日、星野仙一球団副会長が4日に亡くなったことを発表した。70歳、死因はすい臓がんだった。」(スポニチアネックスより)

初めて星野氏を認識したのは1974年のリーグ制覇の時。さすがに僕も幼稚園児だったため記憶が曖昧だが、優勝決定のかかった大洋戦は親戚の家でテレビ観戦していたように覚えている。

その時の胴上げ投手が確か星野氏だったと思っていたのだが、ウィキペディアには「要出典」と書かれていたのでもしかしたら僕の記憶違いかもしれない。

小学校入学前後が投手星野としては全盛期で5年連続10勝以上を記録。ドラゴンズファンとして意識して試合を見始めた頃にはすでに一線級からは退いていた感があった。

強烈な印象を残すのは最初の中日監督時代である。

地元名古屋ではマスコミこぞって星野氏を応援していた。マスコミ向けのキャッチフレーズも事欠かない。「燃える男」「闘将」「打倒巨人」「鉄拳制裁」など。 すでにその時代でさえ表の世界では「鉄拳制裁」なんていうのはプロレスでアントニオ猪木が放つナックルパート(厳密に言えば反則)くらいしかなく、そんな指導方法を実際にとる監督が実在することが驚きだった。

僕はこのころから星野氏には複雑な思いがある。好きになれないんだけど憎めないそんな感じだ。「燃える男」、「鉄拳制裁」などと古臭いことを言いながら、野球ではそれなりの成績をあげ、2回優勝している。時代に逆行しているのに成績を上げることに少なからぬ矛盾を感じざるを得ない。

そんな感情がはっきり「嫌い」に変わったのは中日監督から阪神監督への変わり身だろう。スポーツ紙的に言えば明らかな裏切りであり、中日の2軍監督に決まっていた島野氏を引っこ抜くのは反則だろう。

これ以後、僕は視界の中に星野氏をできるだけ入れないように努めて来た。個人的には和解(一方的だが)するようなきっかけがなく他界されたことを残念に思う。

長寿化する現代において70歳はまだまだ死ぬには若い。こうるさい爺さんになってくれると思っていたが、年寄りめいた姿はこの人には不似合いだったかもしれない。

ご冥福をお祈りいたします。