思わせぶりな映画:バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 感想
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
スタッフ
監督 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
脚本 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
ニコラス・ジャコボーン
アーマンド・ボー
アレクサンダー・ディネラリス・Jr
キャスト
マイケル・キートン
ザック・ガリフィアナキス
エドワード・ノートン
エマ・ストーン
エイミー・ライアン
ナオミ・ワッツ
あらすじ
リーガン・トムソン(マイケル・キートン)は落ち目のハリウッド俳優である。かつては『バードマン』という3本のブロックバスター映画(英語版)で主役のスーパーヒーロー、バードマンを演じ数十億ドルの興行収入を稼ぐほどのスター俳優だったが、それ以降ヒットに恵まれず、20年以上が経過していた。
60代となり、家庭でも失敗したリーガンは『かつてバードマンを演じた俳優』として惨めな生活を送っていた。単なる落ちぶれたアクション俳優ではなく、アーティストとしての自分に存在意義を見いだそうと自暴自棄になったリーガンは、ブロードウェイ進出という無謀な決断をするが…。
(以上、ウィキペディアより)
予告編
映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』日本版予告編
コミックス原作の大作シリーズ映画ばかり制作しているハリウッドに対する風刺の効いた映画です。
また、冒頭のクラゲが浜に打ち上げられているサブリミナルなカットや隕石が落ちてくるシーンなど幻想的というか、そこに何か暗喩が含まれているのではないかと深読みしたくなる映画でもあります。
ただし、どこまでわかるかを試されているかのような気分になるのは見終わった後に釈然としない感情があり、ここでもハリウッド大作にはない苦い後味を観客に残させるのではないでしょうか。
見始めて驚かされるのは、この長回しいつまで続くんだということでしょう。
普通の映画はいくつかのカットを積み重ねて一つのシーンを作りさらにそのシーンを重ねて一本の映画にします。しかし本作は最初から最後までひとつの長回しカットで撮影したようになっています。通常、長回しを多用すると芝居の仕方にもよりますが間延びした印象を受ける場合が多いのですが、本作は長回しにもかかわらずスピーディな(悪く言えば忙わしない)感覚を失っていません。
アカデミー賞始め各賞で撮影部門を総なめしたのもうなづけます。
音楽も素晴らしいです。
メキシコのジャズドラマー、アントニオ・サンチェズという人が随所でドラムソロだけの演奏を聴かせてくれます。これが非常にカッコよいだけでなく、ソロの演奏が緊張感を画面に付加していたような気がしました。
ラストシーンがある意味衝撃的なんですが、あのラストについてどういう風に受け取ればいいのか、どなた良い意見があったら是非コメント欄に書き込みをお願いします。
しかし、キートンは自分に対する大いなる皮肉であり自らのキャリアを投影したような本作への出演をよく断らなかったなぁと感心しました。バードマンってどう考えてもバットマンからのパクリだし、こうもりから鳥になって動物か鳥なのかよくわからないどっちつかずから解放されたのは良かったことなんだろうか。
「ブログやツイッター、フェースブックをやらないパパは存在していないのと同じ」という主人公の娘のセリフが気になりました。世代間の感覚の違いというか、娘の世界が狭すぎるのか広すぎるのか…。
ただ、SNSをやっていようがフォロワーが全然いなければ存在していないのとあまり変わりませんけどね。