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アメリカ社会の縮図:レスラー

レスラー(2009年 アメリカ)

 

スタッフ

監督 ダーレン・アロノフスキー

脚本 ロバート・シーゲル

製作 ダーレン・アロノフスキー

   スコット・フランクリン

 

キャスト

 ミッキー・ローク

 マリサ・トメイ

 

あらすじ

 1980年代に人気レスラーだったランディだが、二十数年経った現在はスーパーでアルバイトをしながら辛うじてプロレスを続け、想いを寄せるキャシディに会うためにストリップクラブを訪ねる孤独な日々を送っている。ある日、往年の名勝負と言われたジ・アヤトラー戦の20周年記念試合が決定する。メジャー団体への復帰チャンスと意気揚がるランディだったが、長年のステロイド剤使用が祟り心臓発作を起こし倒れてしまう。

(ウィキペディアより)

 

予告編


レスラー

 

 最近はとんと見なくなっているが15年ほど前までは週刊プロレス、紙のプロレスを購読し時々は会場にも足を運んでいたプロレスファンだった。

なので本作を初めて見たときはプロレスの内幕を暴いた問題作(プロレスファンとしては)というような捉え方をしていた。

 すでに公開当時(2009年ごろ)からWWE(アメリカの最大手プロレス団体)ではプロレスはエンターテインメントでありストーリーがあらかじめ決められている娯楽であるという共通認識が前提になっていた。

 本作でもリングに上がる前は戦う者同士が同じ部屋で談笑しつつ試合の段取りを打合わせる。流血のためのカミソリをバンテージ(テーピング)の中に仕込む。または、ホームセンターに嬉々として凶器になるものを買いに行く。

 そういう場面ばかりが気になってしょうがなかった。昔気質のプロレスファン(自称)だった僕は表面的にそういったシーンを受け入れていても、内心忸怩たる思いであったのだ。

 過去の栄光を忘れられずにしがみついている男を描いていることで哀愁を感じていたのも事実であるが、素直な感想はそんなとこだった。

 

 しかし、今回久しぶりに見て現状のアメリカの様子を非常にリアルに象徴していることに気がついた。

 

 かつてのプロレスは国同士の争いをリングの上に持ち込んでいた。かつては日本やドイツ、ソ連。

 それぞれのお国柄をギミックとして取り入れたレスラーが白人ベビーフェース(善玉)レスラーにヒール(悪役)となって対決することで大衆(白人)の憂さ晴らしをしていたのだ。80年代になりヒールはイランとなった。主人公ランディの敵役アヤットラーは当時のイランの最高指導者ホメイニのファーストネームである

 そして、戦うレスラーこそ我らがランディ”ザ・ラム”ロビンソンである。途中病院のシーンでランザムスキと呼ばれているので多分東欧系と思われるが、髪を金髪に染めて、いかにもWASPという名前に変えている。

 かつての名チャンピオン、ルー・テーズも本当はハンガリー系だがベビーフェースのため名前を変えている。

 プロレスはWASPの客のために非WASPがギミックを駆使して戦う移民たちのためのビジネスだったのだ。

 

 初見の時は落ちぶれたレスラーが単なる情け無い年老いた男の象徴と思っていたが、彼は貧しい白人層を象徴していたのだ。プロレス同様、彼ら貧しい白人達はいつも先頭にたってアメリカを守ってきたのに今では世間から除け者にされる存在となっている。

 この貧しい白人層はトランプの支持層と重なる。考えてみればトランプもWWEに参戦してマイクパフォーマンスの腕を磨いていた。

 世界を驚かせたトランプ次期大統領選出は貧しい白人達の最後のラムジャムなのかもしれない。

 

 トランプが次期大統領になった今こそもう一度見たい映画である。

 

蛇足

 なぜか私の周囲の女性たちに本作のファンが多い。

 妻は本作を10回以上見ておりブルース・スプリングスティーンの大ファンになった。

 知人のプロレス大好き美人気象予報士さんはランディがスライサーで指を切るシーンが大好きである。