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年末年始、やたらテレビ(BS)でやってた007シリーズについて語ります(後編)

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昨日の前編に引き続き後編はシリーズの回復期からお話しします。

回復期 個人的には反抗期(ティモシー・ダルトン~ピアース・ブロスナン)

迷走していた(と僕は感じていた)シリーズはボンド役を若手に変えることで刷新を図りました。 15作目『リビング・デイライツ』からボンドはティモシー・ダルトンに変わります。

役者が若くなったためか、つづく16作目『消されたライセンス』もボンドのアクションも役者本人がやる場合が多くリアリティが増したように感じます。でも、ダルトンのボンドは上述の2作だけとなってしまい、ボンドとしての印象は薄いものとなりました。

ちょうどこの時期の背景としてベルリンの壁崩壊、米ソの冷戦終結、東側共産圏の民主化が起こるなど転換期にあり、それまでの米ソ冷戦を背景にした作品作りが分岐点に立たされることになりました。

『消されたライセンス』以降6年間ほどボンド映画は作られなくなります。僕はそのころ社会人になり仕事も忙しくなったため映画を観る回数が極端に減り、そのためボンド映画もほとんど劇場で観ることがなくなりました。

また、一人のヒーローの活躍だけで世界を救いながらきれいな女の子のよろしくやるような荒唐無稽なストーリーに鼻白んでいたのも確かです。

そのためピアーズ・プロスナンの17作目『ゴールデン・アイ』以降、20作目『ダイ・アナザー・デイ』まではほとんど記憶に残っていません。

なので、細かなことを語るのは控えますが、ソ連崩壊後、強力な敵役を構築することができず、ボンドが立ち向かっていくには絵にならないような小物しか登場しない作品にピリッとしないものを感じていたのは間違いありません。

しかし、シリーズとして興行成績はキープしておりボンド作品のコンテンツとしての強さは相変わらずでした。

革命期(ダニエル・クレイグ)

そんな一時期がありましたが、主演がダニエル・クレイグに変わった21作目『カジノ・ロワイヤル』で007は新しくなりました。そして僕も映画館で見ることを再開しはじめたのです。

一見してその作風が変わったのが僕でもわかりました。それまでのボンドは(特に僕がよく観ていたムーアボンドは)、超人的に「強くて」、「かっこよくて」、「女の子にモテモテ」でした。でも、そんな人間は実際には存在しません。クレイグボンドはそれとは違い、強いけど怪我もするし、かっこいいけど泥だらけにもなるし、そんなにモテモテでもありません。 より人間くさくなったと言えるのではないでしょうか。『カジノ・ロワイヤル』はボンドの人間宣言みたいな気がします。

クレイグは当初、それまでボンドの外見的イメージ(つまり黒髪、黒い瞳、長身)から逸脱していることに批判もありましたが、映画を観た人はほとんど納得したことでしょう。

ちなみに僕とクレイグは同い年です。同い年の人がボンドを演じていることに感慨深いものがあります。

22作目『慰めの報酬』同じ路線を踏襲します。僕には少し退屈だったけど。

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そして23作目『スカイフォール』でクレイグボンドはひとつの頂点を到達します。監督にアカデミー賞受賞歴のあるサム・メンデスを迎え、これまでのボンド作品とは一味もふた味も違う作品に仕上がっています。悪役も、「カントリー」のハビエル・バルデムが怪演を披露しています。

何が変わったかというと、これまでの作品ではボンド自身のストーリーはあまり語られてきませんでした。時代背景やストーリーの性格からそれを必要としていなかったからです。逆に本作はボンドという男の個人的な話に深く言及しています。初映画化以来、外へ外へ広がっていた作品は、本作で中へ中へと深く人間を探求するものとなったのです。

インターネットが発達して世界の事情が誰でも手のひらの上でわかるようになってしましました。そんな中でスパイ映画はどう生き残るか、『スカイフォール』はひとつの答えになると思います。

24作目『スペクター』はオールドファンへのプレゼントだと思いました。古い作品へのオマージュがたくさん散りばめられているからです。

さて、長くなりましたがいかがでしたでしょうか。 ボンド映画も時代背景を色々反映しているんですね。

ちなみに25作目もクレイグがボンドをやるそうですよ、楽しみですね。