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不良のデビューは早いほうがいい?:生身の暴力論 感想

生身の暴力論 久田将義 講談社現代新書

世の中には「本当にやる」人間がいる 殺人者はなぜ「眠そうな目」をするのか? 「デビュー」が遅い人間の危うさとは? 言葉を軽んじる人は「言葉に復讐」される? (本書帯より)

目次

はじめに

第一章 暴力の本質とは何か

第二章 暴力と不良と「デビュー論」

第三章 暴力の現場

第四章 圧倒的暴力にどう対処するか

第五章 暴力新時代

第六章 本当の強さとは何か

あとがき

 

「眠そうな目」をした殺人者たち  

 

本書には様々な暴力が描かれています。

ヤンキーや暴走族同士の喧嘩から本職のヤクザの抗争まで、そしてサイコキラーとしか思えないような青少年の「殺してみたかった」殺人もやはり当然暴力に含まれるでしょう。  

著者によると殺人を犯したものは「眠そうな目」になるそうです。「市川一家四人殺人事件」の犯人は犯行後に眠くて仕方なかったということを告白しています。また、著者の会った過去に殺人を犯して服役した経験のある人物も殺人に言及した途端にトロンと「眠そうな目」をしたらしい。

著者は土方歳三までを引き合いに出し、殺人者=「眠そうな目」理論を展開していきます。  

かなりサンプル数が少なすぎて容易には首肯しかねる面もありますが、殺人という人間として大きく逸脱してしまった者には普通の人間とは明らかに違う何かが付与され(あるいは決定的に何かが欠落する)ということはあながち嘘ではないのかもしれない。(ただその場合も過去の殺人者で刑期を終えた者の更生はどのように考えればいいのでしょうか)

 

「デビュー論」と犯行の残忍さ  

 

本書を読んで中学生時代のヤンキー(当時はツッパリと呼ばれていましたが)たちを思い出しました。  

僕の通っていた中学は名古屋市内でも指折りの問題校で授業中にヤンキーの先輩たちが各教室へ授業妨害の来るのはしょっ中だったし、休み時間には原付バイクや自転車が廊下を走ったり、昼休みには牛乳の入った瓶が屋上から降ってきたりしました。(地面落ちて割れる時、ポンポンといい音がするのです)タバコを吸いながら歩き回るくらいはかわいいものでシンナーを吸いながら校内をフラフラしている人までいました。  

本書では著者独自の「デビュー論」というものが述べられています。デビューとは『「遊び始めた」とか「不良じみたことをし始めた」という意味』で本書では使われています。『「生粋の不良少年」は小学校高学年から中学一年生で』デビューします。早めにデビューした者に比べて遅くにデビュー(高校生以降社会人まで)すればするほど痛々しい不良になるそうです。  

また、不良少年たちにとって「ダサい」か「ダサくない」かが重要な価値基準になっており、遅いデビューそのものが「ダサい」ことになるのです。  

早くからデビューした者は暴力にもより早くさらされるためか喧嘩相手や状況により手加減したり。喧嘩の後のことを考えるそうです。逆にデビューが遅い者は経験が足りず、「ダサい」という基準にも関心を払わないため、いったん暴力を振るい出すと凄惨な事件になりやすくなります。  

昨年起きた「川崎市中学生リンチ殺人事件」では加害者は高校デビューした(あるいはデビューさえしていない)少年でした。本来、不良少年たちの価値基準でいえば体格で劣る中学一年生を一方的にリンチすることは「ダサい」ことになります。(ここでいう「ダサい」は卑怯・卑劣という意味)  

それを殺人まで踏み込んでしまうということはもともと「ダサい」という価値基準では考えられないということです。

僕の見た現実の暴力  

僕は前述の通りひどい中学校に通っていたので暴力が日常的に行なわれている場にいたわけですが、早くデビューしたはずの不良少年たちが弱いものいじめする姿をしばしば見ていましたから、著者の論にあまり賛同するわけではありません。(というか、僕の見た暴力は弱いものいじめばかりでしたね)  

しかし、無秩序にも見える不良少年やヤクザの暴力に何らかの理屈を見出すことは興味深い試みであると思います。  

欲をいえば、ここ数年来度々起こる「ただ殺したかったから」殺人についてももう少し突っ込んだ記事が読みたかったですね。