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こんな文章が書きたいな 映画を聴きましょう 細野晴臣

映画を聴きましょう 細野晴臣 キネマ旬報社

この本の概要(Amazonより)

映画雑誌『キネマ旬報』にて2012年8月下旬号よりスタートし、2017年10月下旬号で58回を迎えた細野晴臣氏の連載『映画を聴きましょう』を書籍化。また、特別企画として細野氏との共著『観光―日本霊地巡礼』以来の旧友・中沢新一氏との映画対談を収録するほか、細野氏のツアーグッズや『パンの漫画』(ガイドワークス刊)で知られる漫画家・堀道広氏による描きおろしイラストで、細野氏の記憶に残る映画のワンシーンを再現します。

細野晴臣とは

本書の著者の細野晴臣さん(通称 細野さん)との出会いは、言うまでもなく『YMO』です。30代以下の方はご存じないかもしれませんが『YMO』とは『イエロー・マジック・オーケストラ』の略です。詳細についてはリンク先のウィキペディアをご覧いただくとして、1980年前後に一世を風靡して僕たちの世代に音楽だけでなくファッションや考え方までも大きな影響を残しました。

細野さんはそのYMOでリーダー的、プロデューサー的役割を担い初期段階での方向性を確定した人です。

また、その昔、大瀧詠一、松本隆と『はっぴいえんど』というバンドをやってました。YMO散開後は映画音楽にも活動の場を広げています。

細野さんが面白いといった音楽はとりあえず聴いてみようと思わせる、僕の音楽における指針となっている人物なのです。これは同じYMOのメンバーである坂本龍一、高橋幸宏も同様です。

映画や音楽にあふれた家庭

本書を読むと細野さんの家庭環境が音楽や映画にあふれていたことがよくわかります。両親やお姉さんも音楽、映画が大好きで、特にお母さんが大の映画好きで小さなころからよく映画館に連れて行ってもらったことが本書でも複数回取り上げられています。

また、おじいさんのレコードのコレクションがあったとかでビッグバンドジャズやシャンソンに子供時代から触れていたとのこと。いわゆるハイカラで裕福な家庭だったのでしょう。

映画の時代 映画との距離

細野さんの子供から学生になる頃までは、娯楽の王様は映画でした。

1950年代終わりから60年代はじめころまでは映画人口(一年に何人が映画を劇場で観るか)は10億人を超えていました。テレビが普及するまでの時代は他に手軽に楽しめる娯楽が少なかったからだろうと思います。

他にも最新作を公開する映画館の他に、二番館、三番館や名画座など通常の鑑賞料で2本立て、3本立てをやる映画館も多かったのです。つまり、映画館が今より身近だったのではないでしょうか。

その後のテレビ、ビデオの普及、レンタル屋の過当競争による低価格化により映画館は次々に食われていきました。ここ数年はシネコンが増加して映画館にも少しづつ観客が戻ってきていますが、映画人口は最盛期の十分の一くらいです。

家庭のテレビも大画面になったし絵も音もよくなったけど、映画はやっぱり映画館でみたいいと自省をこめて思いますね。

映画と音楽

映画黎明期のサイレンスを除けば、映画と音楽は切っても切れない間柄です。映画を観た後にストーリーや俳優たちの演技だけでなく音楽が気になってしまうことがあります。

音楽が印象に残る映画はだいたい映画自体も面白いですよね。

最近で言えばラ・ラ・ランドなんてシンプルなストーリーと音楽があいまってとても印象深い作品になっています。映画を観た後、数日たってもメロディが頭の中でぐるぐる回っていました。

僕の中で音楽がもっとも印象的に使われている映画はブルース・ブラザーズです。中学生の頃に観てとても感動しました。サントラ盤も持ってます。映画のストーリーの中に一流ミュージシャンたちにPV風の楽曲が贅沢に使われています。 自分も歌えるんじゃないか、踊れるんじゃないかと思わせてくれた映画でした。

こういう文章が書けたなら

映画もたくさん観ているし音楽は本職なんだけど細野さんの文章がとてもいいんです。軽いタッチでさらっと読ませるけれんみのない素直な文章。あえて文字で表すとそんな感じでしょうか。細野さんの飄々とした人物像がそのまま文章になったようです。

僕もブログで文章を書いているわけですが、本書を読んでみて文章のひとつの目標に出会えたような気がしました。